2013年05月

辻堂生まれの神奈川県議会議員脇れい子。
当事者の視点を第一に、県政に取り組みます。

ホームページはこちらです。→http://wakireiko.jp/

新規就農支援

藤沢市では2市1町(藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町)で広域新規就農者の受け入れを行っています。
希望者は新規就農条件
 1 かながわ農業アカデミー等の農業大学校を卒業し、知識・技術・技能を修得
 2 神奈川県認定就農者として認定され、知識・技術・技能を習得 
 3 2市1町管内の農家において2年以上農家研修を受けた者で技術があると認められ、農家から研修報告書を受けた者
条件に合っていれば、参入候補地を探すことになります。参入候補地が自分で探せない場合、藤沢市の農業委員会で相談にのってもらえます。

ただ、何を耕作するのかで、耕作地の条件も違いますし、地権者の意向もありますので、就農希望者と耕作地とのマッチングは、なかなか簡単ではないようです。

先日、この事業でサラリーマン生活に決別をして就農して2年目の方から、話を伺う機会がありました。
土づくりから行い、育て、収穫し、そして販売する、までを一人でやるのは、かなり大変だと、自分で思うことの何分の一しかできないですよ、とおっしゃっていました。

軽トラック、耕うん機などの機械をはじめ、初期投資の経費も必要です。
わいわい市などに出荷されているようですが、一人での作業なので、出荷作業に時間をかければ、畑の手入れがおろそかになってしまうなど、ジレンマもあるようです。また耕作地に水道はないので、水もタンクに汲んでおき、水やりも大変なようです。お天気にも左右されるわけですし、さまざま苦労話を聞かせていただきました。

ただ、農業が好きでたまらない!! お話を聞いていて、その思いは痛いほど伝わってきました。

沖縄3日目

3日目の今日は、宜野湾市役所の屋上から普天間基地を望み、その後、市役所隣にある前宜野湾市長の伊波洋一さんの事務所に行き、伊波さんから、沖縄の米軍基地建設の経緯と米軍基地の現状について、レクチャーを受けました。

普天間飛行場は、民家や公共施設のすぐそばにあり、また学校や密集住宅地の真上を米軍機が飛行する世界で一番危険な飛行場です。この普天間飛行場は米軍が戦争中に建設、1950年代と1960年代に日本本土から海兵隊を移すために土地を強制接収して基地を拡大しています。
航空法の飛行場ではないので、飛行場として使えません。日米安保の提供施設なのです。
航空特例法で、米軍には航空法が適用されず、米軍機はどこを飛んでもよいことになっているのです。
日米の航空機安全基準が適用されず、危険な運用が行われているわけです。
米国では、このような住宅密集地に隣接する飛行場はアメリカ連邦航空法で認められませんから、存在しません。

辺野古新基地建設は、中国有事の前進展開基地建設が目的であるとウィキリークスが明らかにしています。
中国の軍事力の劇的な増大により、何かが起きた場合、少なくとも3つの滑走路が必要で、嘉手納、那覇、そして辺野古という考えだそうです。現状の日米安保は、日本を守るものではなく、日本を戦場にするものだと伊波さんは説明をされました。

米国が準備している戦争計画「統合エアーシーバトル構想」は、米空軍と海軍の戦力を組み合わせて、中国軍の初動攻撃力を減殺し、米国や同盟国の被害を最小化する戦略とのこと。在日米軍基地を対象とした先制攻撃や、嘉手納、グアムの基地を想定した弾道ミサイルによる攻撃への対処なども含まれているもの。嘉手納、岩国、佐世保は中国からの攻撃対象になるとし、西日本が攻撃されたら東日本から日米の大部分の戦闘機の運用を行うものだと。米国は、日本を使って戦争ができる体制づくりを着々と進めているのだが、そのことがなかなか見えていないので、伊波さんは講演で、この現状を語り続けているのだとおっしゃっていました。

横浜で、私は2度ほど伊波さんの話は聞いています。実際にアメリカの基地を視察し、資料を読み込み、また普天間基地のある宜野湾からの語りは何度聞いても説得力のあるものだと思います。

その後、嘉数の高台から普天間基地のオスプレイを遠望し県立博物館を訪ね、藤沢に戻りました。
今朝、嘉手納基地のF15が沖縄沖に墜落をしたこともあってか、沖縄上空は静かでした。沖縄県はF15の飛行訓練中止を要請するそうです。
今日の設定をしてくれた沖縄平和運動センターの大城事務局長も、明日は抗議集会を、と電話対応に追われていました。
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嘉数高台から見た普天間飛行場のオスプレイ

沖縄2日目

2日目の沖縄は、この時期久しぶりの青空で、照りつける太陽が夏を感じさせる一日でした。
糸数のアブチラガマ、南部戦跡めぐりで、プチ修学旅行のような、平和学習の一日でした。

アブチラガマは自然に形成された鍾乳洞です。沖縄戦時、もともとは糸数地区の避難指定のガマでしたが、戦争がはげしくなり、南風原陸軍病院の分室となり、600人以上の負傷兵でガマは埋め尽くされた所です。このガマには井戸が掘られ、今はキレイな水が満ちています。負傷兵を救った大事な井戸水でしたが、当時は血の海と化し、井戸水は真っ赤だったそうです。治る見込みのない重傷者は、薬も水も与えられず、ひめゆり学徒隊の看護も受けられず、真っ暗なガマで死を待つしかなかった、手術をするにも麻酔薬がなく、手や足を切断されていたことなど、ボランティアガイドの方から説明を受けながら、真っ暗なガマを歩きました。

その後、平和の礎、ひめゆりの塔もまわりました。
何回訪れても胸が痛みます。
太陽に照らされ輝く穏やかな海を眺めながら、絶対に子どもたちを戦禍に送ってはいけない、月並みですが、平和の大切さを改めて考えました。
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写真は「道の駅かでな」から見た嘉手納空港の滑走路

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会派視察で沖縄へ

本日26日から3日間、かわせみクラブの高橋議長を除く6人で沖縄視察に来ています。
今日は梅雨空の中、キャンプ•シュワブの新基地建設予定地、絶滅の危機にあるジュゴンが生息する辺野古の海を見て来ました。
キレイで穏やかな海を眺めながら、V字の滑走路を想像し、ヘリ基地反対協議会の共同代表、安次富浩さんから、建設反対の3つの理由を伺いました。

1つは、環境問題。珊瑚のキレイな海を守り、海の生物保護地域したい。辺野古は沖縄県の自然保護条例でAランクの所で、人の手をつけてはいけない所である。
2つ目は、オスプレイ専用基地といっているが、艦載機のタッチアンドゴーや、辺野古には弾薬庫があり、埠頭を作ることで、弾薬の輸送艦を運ぶことができるようになる。核兵器や化学兵器、毒ガスなどかいつ入れられるかわからない、それは戦争につながる恐れがあることだ。
3つ目は、建設費全額を日本が負担すること。税金はもっと国民のために使うべき。思いやり予算年間1900億円、東北支援にまわすべきだ。辺野古の海を埋めるための埋土に3500億円計上されている。埋め立てには2100万平米の土砂が必要とのこと。それは、10トントラックで256万台分だそう。その土砂を沖縄、九州、瀬戸内から運ぶ予定になっているそうだ。すべて日本の負担となる。
テントで座り込みを続けて3325日。
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藤沢元気バザール&2013産業フェスタ

本日(25日)と明日の2日間、市民会館周辺と秩父宮記念体育館で、ふじさわ元気バザールと産業フェスタが、行われます。

好天に恵まれ、朝から沢山の人で賑わっています。カメラを忘れてしまい、会場の様子をお伝えできず、残念です。

ふじさわ元気バザールは、藤沢の自慢の人、モノが集まっています。地元の美味しい食べ物がたくさん。また、地元事業者、ベンチャー企業の開発した商品も展示されています。ぜひいらしてみて下さい。
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ニエアル記念碑保存会 総会

市民会館でニエアル記念碑保存会の総会が開催されました。
ニエアルは、中国国歌「義勇軍行進曲」の作曲者で、来日していた時に、鵠沼海岸の海で遊泳中に亡くなられた方です。
ニエアルを偲ぶ記念碑は鵠沼海岸に建てられています。
命日の7月17日には毎年「碑前祭」が行われます。
ニエアルの出身地、中国の昆明市は藤沢市と姉妹都市です。
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藤沢市食品衛生協会 懇親会

昨日の5月臨時会で、私は厚生環境常任委員長を拝命しました。
今日は、藤沢食品衛生協会の総会と懇親会がグランドホテルで行われ、厚生環境常任委員長として参加させていただきました。
日頃より食品衛生の向上にご尽力されていること、また安全で美味しい食のに提供に感謝いたします。
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所属の委員会が決まりました

5月13日、14日と各派交渉会が開かれました。
各派交渉会は、議会の常任委員会、特別委員会、監査委員会、農業委員会のメンバーとそれぞれの委員長、副委員長を決めていくものです。
委員会の定数は決まっていますので、希望する委員会の人数が定数を超えれば、会派で調整をしていかなければなりません。

14日で各派交渉会は終了、各委員会の所属議員が決まり、また正副委員長も決まりましたが、総務常任委員会の委員長のみが、決まりませんでした。この決まらなかった総務常任委員会の委員長は6月の総務常任委員会の冒頭で決めていくことになります。
また、所属議員と正副委員長(総務の委員長は除く)は、20日の臨時会をもって正式決定となります。

私は、厚生環境常任委員会・新設の補正予算常任委員会・藤沢都心部再生・公共施設再整備特別委員会の所属となる予定です。

放射線量測定のため日光へ

議員有志6人で、小学校の修学旅行先の日光へ、放射線量測定に行って来ました。
測定は、中禅寺湖、華厳の滝、東照宮などの子どもたちが立ち寄りそうな所で行いました。時間の関係で限られた箇所しか測ることはできませんでしたが、藤沢市の線量から比べ、2、3倍くらいの所が多く、一番高い所では10倍近い数値でした。
側溝や道路脇のふきだまりなどは、やはり高めでした。

もちろん私たちの調査で修学旅行の行き先を決めるものではありません。
私が小学校の時から修学旅行は日光でした。この定番となっている修学旅行とは何なのか、目的などを改めて確認し、行き先の議論をする時に来ているのかもしれません。

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日光小学校のグランドには、土が野積みされていました。表土をはぎ取った土をそのまま積み上げているのであれば、心配なことです。
福島第一原発事故が終息しない限り、放射能関係の悩ましい問題は続いていくのです。
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臨時会 終了は午後9時

議長、副議長選挙後の臨時会での議案審議にで大変な時間を要しました。

議案に出されたのは、旧県立藤沢北高等学校解体工事の工事請負契約の変更契約の締結について、です。
この工事は、神奈川県との建物等無償譲渡契約書に基づき、全杭撤去で工事を進めてきたが、ケーシング工法による引き抜き段階で、既存杭の損傷等により、杭の引き抜きが困難な状況になり、杭の残置について、県の承認を得たので、残置杭相当分の減額と、杭の引き抜き工法の変更による減額、地盤改良に伴う増額等により、契約金額が変更となるものです。

この議案に対して、市川議員と加藤なを子議員が質疑通告をしたわけですが、質疑通告後、議会が再開されるまで、5時間近くかかりました。市側の答弁がなかなかできてこなかったわけです。
(侃々諤々の議論があって時間がかかったわけではまったくありません。)

私たちは、この議案について事前に説明を受けています。その時にも数々の疑問点、質問を投げかけてきました。想定される質問はわかっていたと思いますし、実際に2人の議員の質問は想定内の質問だったと思います。
しかも、答弁はなぜそんなに時間を要したのか、と疑問を感じるものでした。

臨時会終了間際に、塚本議員から「なぜ、これほどまで答弁調整に時間がかかったのか、説明をしてほしい。」との動議が出されました。今日は誰もがそう思ったと思います。
有効な議論で会議の時間を費やすのであれば、誰もが納得できますが、今日のように答弁ができるまでに何時間も費やすことは、税金のムダ使いとなります。
塚本議員は動議に対し議長の取り計らいを求めました。議長はこの動議に対し、後日改めて、市側から説明をしてもらうこととし、本日は閉会となりました。

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