2015年11月

辻堂生まれの神奈川県議会議員脇れい子。
当事者の視点を第一に、県政に取り組みます。

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辻堂市民センター・公民館等再整備計画検討状況

本日、辻堂地区全体集会が行われ、後半、辻堂市民センター・公民館等再整備計画の検討状況について、説明がありました。

辻堂市民センターは昭和53年に整備されましたが、老朽化、狭隘化、バリアフリーの面からも2階に上がるのに階段しかないという状況で、辻堂まちづくり会議から、移転を視野に入れての早期の建て替えの提言書を市長に提出、その後再整備について建設検討委員会を立ち上げ検討を重ねてきました。

建設計画地は、現在のセンターより西に移り、高浜中学校テニスコート、県職員住宅跡地、道路用地を含め約6000㎡。第1種中高層住居専用地域で、建ぺい率は40%、容積率は200%。また、第4号湘南海岸風致地区であるため、高さは15m以下、緑地率が20%となっています。

ここに、辻堂市民センター・公民館と、消防出張所、高浜中学校テニスコート3面を建設予定としています。
センターの中には、地域包括支援センター、ボランティアセンターなども入り、これまでなかった体育館を新設する予定としています。

都市計画の制限がかなりあるため、建物は、体育館やホールを設けるので天井高が必要なため、3階建てまでしか建ちません。緑地率も20%ですので、植栽も整備しなければなりません。消防出張所と、テニスコートを確保したうえで、センター公民館の整備をしていくと、これまで不足していた駐車場を整備するためには、面積が足りない現状となっています。

今日は、図面上3つの案がパワーポイントで示されました。センター、公民館の必要面積を確保し、建物3階建て、ただし駐車場が5台分しか取れないA案。1階を駐車場30台分とし、センターは2階と3階とすることで、実質2階建てのセンター、公民館となり、駐車場は確保できるが、必要諸室が確保できないB案。A案と同じセンター、公民館の建物に、地下に駐車場を30台分設けるC案。このC案は、建設コストが高く、管理も難しくなり、また津波浸水対策設備等が必要となります。

今日は、市民の方から、「環境整備をしっかりしてほしい」、「消防出張所は別の場所にできないのか」、「高浜中学校のテニスコートはほかの場所にできないのか」、などさまざまな意見が出されました。

今年度中に基本構想を策定していかなければならず、かなり厳しい状況にあると思います。

tujido



 

藤沢市文書館 資料展「合併60年 藤沢北部の発展」

今年は、1955年(昭和30年)に行われた渋谷町長後、御所見村、小出村遠藤との合併から60年。この3町村の合併によって現在の藤沢市が確定。風化されつつあるこの事実と、なぜ北部3町村が合併を選択したのか、など、歴史的な意義を考るための展示が、藤沢市文書館で開催されています。

資料によれば、藤沢市は1954年に渋谷村、御所見村、小出村、綾瀬町、寒川町、有馬村へ合併の申し入れをし、綾瀬町と寒川町は合併の機運が盛り上がらず、有馬村は海老名町との合併に動き、渋谷町、御所見村、小出村が具体的な検討を開始。

御所見村は藤沢市と茅ヶ崎市との合併を比較検討後、藤沢市との合併を決断。
しかしながら、小出村と渋谷町の合併問題は、平坦に進まず。
小出村の村民は、茅ヶ崎市に近いところは茅ヶ崎市を、遠藤は藤沢市を希望、村当局は全村合併に向けて努力したけれども、藤沢市合併を望む遠藤の意向を汲み、分村合併としたそうです。
渋谷町は町当局が藤沢市への合併方針を明らかにし、長後地区は支持したけれど3町合併(大和町、綾瀬町、渋谷町)を望んだ中北部住民はこれに反対し対立が激化。県の仲裁により、長後・高倉は藤沢市に合併、残りは渋谷村として独立することで妥結したそうです。その後渋谷村は大和町と合併。

藤沢北部の3町村は、藤沢市に対する意識や期待感が、行政と住民で異なっていたようです。
藤沢市は合併協議の当初は、北部を食糧供給地として考えていましたが、1960年代の急激な工場進出のなかで、都市計画の見直しをし、北部は新たな工業の拠点という顔もあわせもつ地域に姿を変えていきました。

貴重な写真、資料が展示されています。
12月11日まで、藤沢市文書館で展示されていますので、ぜひ、ご覧になってください。

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