今年は、1955年(昭和30年)に行われた渋谷町長後、御所見村、小出村遠藤との合併から60年。この3町村の合併によって現在の藤沢市が確定。風化されつつあるこの事実と、なぜ北部3町村が合併を選択したのか、など、歴史的な意義を考るための展示が、藤沢市文書館で開催されています。

資料によれば、藤沢市は1954年に渋谷村、御所見村、小出村、綾瀬町、寒川町、有馬村へ合併の申し入れをし、綾瀬町と寒川町は合併の機運が盛り上がらず、有馬村は海老名町との合併に動き、渋谷町、御所見村、小出村が具体的な検討を開始。

御所見村は藤沢市と茅ヶ崎市との合併を比較検討後、藤沢市との合併を決断。
しかしながら、小出村と渋谷町の合併問題は、平坦に進まず。
小出村の村民は、茅ヶ崎市に近いところは茅ヶ崎市を、遠藤は藤沢市を希望、村当局は全村合併に向けて努力したけれども、藤沢市合併を望む遠藤の意向を汲み、分村合併としたそうです。
渋谷町は町当局が藤沢市への合併方針を明らかにし、長後地区は支持したけれど3町合併(大和町、綾瀬町、渋谷町)を望んだ中北部住民はこれに反対し対立が激化。県の仲裁により、長後・高倉は藤沢市に合併、残りは渋谷村として独立することで妥結したそうです。その後渋谷村は大和町と合併。

藤沢北部の3町村は、藤沢市に対する意識や期待感が、行政と住民で異なっていたようです。
藤沢市は合併協議の当初は、北部を食糧供給地として考えていましたが、1960年代の急激な工場進出のなかで、都市計画の見直しをし、北部は新たな工業の拠点という顔もあわせもつ地域に姿を変えていきました。

貴重な写真、資料が展示されています。
12月11日まで、藤沢市文書館で展示されていますので、ぜひ、ご覧になってください。

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